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令和八年、2026年も秋も本番~何処行こか?
今回のキーワードは織田家~

有楽斎と卑弥呼の足跡~
奈良盆地の縁、三輪山が目印!
古代と中世~行ったり来たり…
今ですよ今!
大阪中心部までは直線距離で40km!
無名處にも、ほぉ~と感嘆が漏れます。

奈良県桜井市穴師(相撲神社)~10

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
タンデムポタで~相棒自転車は…BSダイヤモンド+ALPSクライマー号+UFO1号。
まだサンと浮ドンと~!

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和八年11月01日
                                           UP日:令和八年11月06日

大兵主神社サンからは
下りです。
ミカン畑横目に~

※

相撲発祥の地
穴師

※

日本の国技・相撲。日本書紀の中にはじめて
相撲がとられたときの話があります。
その昔、垂仁天皇の時代のことです。
大臣の一人が「当麻に当麻蹴速(たいまのけはや)という、
ものすごく強いものがいるようです。
命がけで力比べしたいものだ、と言っております。」と言いました。
するとまた、別の大臣が「出雲の国に野見宿禰(のみのすくね)という
すごい力持ちがおります。」と言いました。
そこで、天皇の前(今でいう天覧試合)で、当麻蹴速と野見宿禰に
力比べをさせようということになりました。
このころの相撲は、現在のものとは違い、蹴ってもよかったようです。
結局、お互いに足の蹴り合いになり、野見宿禰が勝ちました。
これが相撲のはじまりと言われています。
(桜井市HPより)

※

社殿横から~

※優勝記念碑
德勝龍 誠(とくしょうりゅう まこと、1986年8月22日 - )は、
奈良県奈良市出身(出生地は高市郡高取町)で
木瀬部屋(閉鎖処分中は北の湖部屋)に所属した元大相撲力士。
本名は青木 誠(あおき まこと)。身長183.0cm、体重190.0kg。
最高位は西前頭2枚目(2020年3月場所)。
いわゆる「花のロクイチ組」の1人。現在は年寄・千田川。
(Wikipediaより)
地元力士!

お参りします~

※本殿舎
真新しい狛犬

野見宿禰(のみのすくね)は、土師氏の祖として
『日本書紀』などに登場する古墳時代の豪族である。
天穂日命(天津神)の14世の子孫であると
『新撰姓氏録』に記載されている。
野見宿祢の「野見」は、『出雲風土記』
飯石(いいし)郡条に「能見」地名の記載があり、
この地の出身とされている。襲髄命と同人とする説もある。
垂仁天皇の命により当麻蹴速と角力(相撲)
(『日本書紀』では「捔力」に作る)をとるために
出雲国より召喚され、蹴速と互いに蹴り合った末に
その腰を踏み折って勝ち、蹴速が持っていた
大和国当麻の地(現奈良県葛城市當麻)を与えられるとともに、
以後垂仁天皇に仕えた。
また、垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命の葬儀の時、
それまで行われていた殉死の風習に代わる埴輪の制を案出し、
土師臣(はじのおみ)の姓を与えられ、
そのために後裔氏族である土師氏は代々天皇の葬儀を司ることとなった。
(Wikipediaより)

昭和37年
1962年の相撲
十一月場所(福岡スポーツセンター、11~25日)
幕内最高優勝 : 大鵬幸喜(13勝2敗,8回目)
殊勲賞-豊山、敢闘賞-豊山、技能賞-小城ノ花
十両優勝 : 岡ノ山喜郎(14勝1敗)
(Wikipediaより)

※大鵬/柏戸
強かったなぁと~

何方を模したのでしょうか?

※

カタヤケシを模した土俵とか~

※殉国碑
保安庁長官
木村篤太郎 書
木村 篤太郎(きむら とくたろう、
1886年〈明治19年〉2月7日 - 1982年〈昭和57年〉8月8日)は、
日本の政治家、検察官、弁護士、剣道家である。

検事総長(第19代)、第一東京弁護士会会長(第16代)、法務大臣(初代)、
保安庁長官(初代)、防衛庁長官(初代)、全日本剣道連盟会長(初代)等を歴任した。
岳父の井上篤太郎が社長だった
京王電気軌道(現・京王電鉄)の専務取締役を務めたことがある。
(Wikipediaより)

昭和28年碑

※宿祢蹴速角力
当麻蹴速(たいまのけはや、たぎまのけはや、タエマクエハヤ、
當麻蹶速、生年不明 - 垂仁天皇7年7月7日)は、
垂仁天皇の時代に勇名をはせたと伝わる人物である。
『日本書紀』によれば、蹴速は大和国の
当麻邑(たいまのむら、現奈良県葛城市當麻)に住み、
強力を誇って生死を問わない勝負をする者を欲していたため、
これを聞いた垂仁天皇が出雲国から勇士であると評判の
野見宿禰を召し寄せ、捔力(すまひ)で対戦させたところ、
互いに蹴り合った後に、蹴速は宿禰に腰を踏み折られて
死んだといい、蹴速の土地は没収されて勝者の野見宿禰の
土地となったという。
「蹴速」という名前は、蹴り技の名手であったことを
示すために名付けられたと推測されている。
また、葛城市當麻には蹴速の塚と伝わる當麻蹶速塚がある。
また、同地の當麻山口神社・一の鳥居北側付近は、
蹴早の屋敷跡と伝えられている。
(Wikipediaより)

鳥居正面

※大兵主神社二の鳥居
参道見返って~

お邪魔しました~

※

この景色を神話の神々が
見られたとか~

※向こうには信貴生駒の山々も~
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