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令和八年、2026年も秋も本番~何処行こか?
今回のキーワードは織田家~

有楽斎と卑弥呼の足跡~
奈良盆地の縁、三輪山が目印!
古代と中世~行ったり来たり…
今ですよ今!
大阪中心部までは直線距離で40km!
無名處にも、ほぉ~と感嘆が漏れます。

奈良県天理市柳本町(伊射奈岐神社)~20

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
タンデムポタで~相棒自転車は…BSダイヤモンド+ALPSクライマー号+UFO1号。
まだサンと浮ドンと~!

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和八年11月01日
                                           UP日:令和八年11月07日

柳本小学校横を~

※

神社見っけ!

※天神橋

路面から橋は分からない~

※標高84.5m附近

燈籠と招魂碑

※天満宮銘

手水鉢

※一の鳥居

扁額
伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ)は、奈良県天理市にある神社。

崇神天皇陵近くの大和天神山古墳に鎮座する。
延喜式神名帳にある城上郡の伊射奈岐神社に比定される。
楊本天神、楊本天満宮と称し、かつては南東の山田垣内にあったといわれる。
文明年間には現在地に鎮座し、楊本の総鎮守とされていた。
寛正2年4月6日(1461年5月24日)には興福寺大乗院主・尋尊が、
天文22年2月28日(1553年4月20日)には三条西公条が参詣している。
同24年8月29日(1555年9月24日)には後奈良天皇が綸旨を下し、
8月だった神事を9月に定めるとともに、柳原淳光に皇室再興を祈らせた。
江戸時代には柳本藩主織田氏の庇護を受け、柳本藩社と呼ばれた。
かつては神事は8月10日に行なわれ、3斗が神楽料にあてられていた。
祭礼は簡素化されたが、明治初期までは猿束、狐束、柘榴束などと呼ぶ
7種類の御供を作って渡御をする神事があり、
元亀2年8月10日(1571年9月9日)に作られた御供用の板木2枚が残っていた。
板木は桜で、1枚は表に鮎、裏に梅と蝦を、もう1枚には鯉が描かれる。
(Wikipediaより)

※

お邪魔します~

※拝殿舎正面

狛犬
阿

※吽

狛犬
阿

※吽

拝殿舎正面

※拝殿舎裏から~

社殿裏に青銅の燈籠
一対

※

本殿舎正面

※

本殿舎脇から~

※摂社と稲荷社

天満宮の名残~
撫で牛

※稲荷社鳥居

琴平神社サン

※

殉国碑

※

建勲神社サン

※本殿舎
信長像は無し~

手水鉢

※

撫で牛
もう一つ~

※手水鉢

境内摂社

※厳島神社
大山咋神社
八坂神社

境内風景

※

浮ドン気に成る~
大和天神山古墳
行燈山古墳前方部の西方に位置する北向きの前方後円墳が本古墳である。
1960年(昭和35年)に県道拡張工事で後円部の一部が削られたのを
機会に緊急発掘調査が行われた。
本古墳は、伊射奈岐(いざなき)神社境内古墳として調査が進められたが、
古墳名に人物名が混じらないという方針により、
地元の呼称をとって天神山古墳とされた。
しかし、各地に同名の古墳が多数あるため、
区別するために大和天神山古墳と命名された。
本古墳の築造時期は、周辺の古墳との関係や日本製青銅鏡の形式から、
3世紀末から4世紀前半、乃至は、おおむね4世紀後半とも推定されている。
(Wikipediaより)


※

社務所

※

神武天皇遥拝所

※

鳥居裏から~

※
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