
黒塚古墳横目に~
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江戸期から有りそうな格子
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築造時期は、古墳時代前期前半の3世紀後半頃と推定される。
初期ヤマト王権の中枢を構成するオオヤマト古墳群において、
ほぼ未盗掘の状態で発掘調査が実施されて
埋葬施設の全容が判明した唯一の例であり、
銅鏡や鉄製品の多量出土によって、前期古墳の定点として
古墳時代研究において不可欠な位置づけにある古墳である。
古墳域は2001年(平成13年)に国の史跡に指定され、
出土品は2004年(平成16年)に国の重要文化財に指定されている。
現在では史跡整備のうえで柳本公園内で公開され、
石室は天理市立黒塚古墳展示館内で複製展示されている。
(Wikipediaより)
※タイムカプセルの様な地区
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色々な、お話をお聞きしました。
古墳で遊んだり柳本小学校の
卒業生とか…感謝です。
明治 7年 2月 8日 柳本、渋谷両村連合して専行院庫裡を借り、
博文館と称し小学校を開く。
明治 9年 4月 柳本小学校と改称する。
明治19年11月 柳本尋常小学校と改称する。
明治44年 4月 1日 本村外三町村組合立纏向高等小学校を分離し、
同時に本校に2カ年の高等科をおき柳本尋常高等小学校と改称する。
昭和16年 4月 1日 柳本国民学校と改称する。
(天理市立柳本小学校HPより)
※クーラーの室外機と
早苗ちゃんポスター以外は
タイムスリップしたような~
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天理市立黒塚古墳展示館
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管内は順路によって説明されています。
※パネル展示も~
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埋葬施設は竪穴式石室で、内法の長さ約8.3mを測ります。
後円部に墓壙を掘り、人頭大の川原石と板石を積み上げ、
中央部に木棺を安置する粘土の床が設けられていました。
木棺は長さ6.2m、幅1mのクワで、木棺の中には水銀朱が、
周囲にはベンガラが残っていました。
また、木棺内には画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)1面と、
その両脇に刀剣類が置かれ、木棺と石室壁面の間からは、
33面の三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)と刀剣、鉄鏃、
冑などの武器や武具、鉄器などが出土しています。
棺外の鏡は全て三角縁神獣鏡で、本来は木棺の上に置かれていたものが、
地震でずれ落ちたものです。
本来は木棺の上の北半分を、コの字形に取り囲むように配されていました。
この三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏の国から貰った鏡と言われています。
卑弥呼の墓とされる箸墓に近い場所から最多となる三角縁神獣鏡が
出土したことから、邪馬台国畿内説が俄然、
クローズアップされることとなりました。
(天理市観光協会HPより)
※柳本古墳群なんですね。
柳本古墳群(やなぎもとこふんぐん)は、
天理市柳本町に所在する古墳時代前期の古墳群である。
大和古墳群と併せて大和・柳本古墳群とも言われる。
その南に纏向古墳群が存在する。
本古墳群は、大和古墳群と谷を隔てて南の丘陵の縁辺に営まれており、
2基の巨大古墳とその周囲の中・小形前方後円墳からなっている。
まず、行燈山古墳を主墳に大和天神山・アンド山(120メートル)
・南アンド山(65メートル)の3古墳が従属している。
また南に渋谷古墳を主墳に上ノ山(125メートル)
・シウロウ塚(120メートル)の二つの古墳群と西の方に
柳本大塚(94メートル)などの古墳が点在している。
大和・柳本古墳群に続く王墓は、奈良盆地の東南の地を離れ、
盆地西北部の地に佐紀盾列古墳群(西群)として営まれる。
王権が移動したと考えられている。
(Wikipediaより)
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パノラマ模型
※出土した物の
レプリカが展示されています。
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なるほど~
縁が三角で
神獣(神や獣の姿)が彫られている鏡
※今回のお目当ての物は~
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織田家
柳本藩由来の鎧
13代柳本城主織田信及
織田 信及(おだ のぶひろ/のぶつぐ、
天保14年(1843年) - 明治22年(1889年)8月22日)は、
日本の大名、華族(子爵)。大和柳本藩の第13代(最後)の藩主。
尚長流織田家13代。官位は正五位。三英傑織田信長の九世子孫である。
正室は片桐貞信の八女謙子。子は長男信愛、次男織田秀実など3男2女。
(Wikipediaより)
※謂わばこれも
後の世のレプリカですね。
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鎧は伊射奈岐神社に
収められていたものだとか~
※本物だそうです。
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お邪魔しました~
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