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令和七年、2025年!大阪万博は見せかけの繁栄を(私は懐疑的)~~
久しぶりの三人ポタは紀貫之の足跡を~

何処行こうか?
大きな前方後円墳が2基もある地区
難読地名でもある深日から淡輪へ~
廃線危機と秋祭り(やぐら)
前には
~今回は、浮ドンとまださんと!

泉南郡岬町深日(国玉神社) 03

だからいつもの神社・仏閣と路地・旧村探し~
三人で久しぶりの自転車ポタ~相棒自転車は…
パナソニックダイヤモンドキャンピングとALPSクライマー、ミニらんちゃん
※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:令和七年09月23日
                                           UP日:令和七年09月24日


神社に到着しました。
大きなムクノキが~

※参道階段

やぐらですね。

※先に神社に
お邪魔して~

狛犬


※吽

文政期の銘が~

手水舎

※手水鉢

結構きつい石階段
UP時に氏子さんから戴いた
栞を見てたら~
瓦製の扁額だとか現地では分かりませんでした。

泉州瓦(大阪府)
【いぶし瓦】
大阪南部の泉南郡深日周辺のいぶし瓦産地。
戦前は深日だけで30数軒の窯元がありましたが、現在は数社。
キメの細かい表面光沢(サエ)、磨きが特徴。
(大和製瓦株式会社HPより)

※待って~な!

明和期、安永期銘が見えます。



ヤットコ追いついて~




小さな祠

木鼻象




二の鳥居

※一の階段見返って~
急傾斜ですね。

先へ~



行きまひょか~

参道脇に石の祠



境内風景~
この車は??

※急傾斜のコンクリ参道

思ったより大きな拝殿舎

※境内摂社

五社御祭神



国玉神社は資料によれば岬町唯一の式内社で
現在の本殿舎は江戸期には賀茂神社として存在したとか~

※拝殿舎正面

拝殿舎前狛犬


※吽


やはり瓦産業で栄えた証で
本瓦屋根に鯱や龍文字飾り瓦~

※瓦製獅子も踊っています。

破風上の文字は龍ではない??
帝に龍の右側



旧賀茂神社の
本殿舎とか~

※見えませんが~

戎神社サン
これも瓦扁額?

※脇には稲荷社眷属狐
何でやろか?
 

大きなモッコクの木
モッコク(木斛、学名: Ternstroemia gymnanthera)は、
モッコク科モッコク属の常緑高木。別名でイイクともよばれる。
江戸五木の一つ。モチノキやマツと並び「庭木の王」と称される。
中国名は、厚皮香(別名: 日本厚皮香)。
常緑広葉樹の中高木。
成長すると樹高は約6m、時には15m、胸高直径80cmに達する大木となる。
枝が密集して整った樹形をつくり、全体としては円錐形のきれいな樹形になる。
幹の樹皮は暗灰色で滑らか、皮目が多い。
若い枝は灰褐色で無毛である。
(Wikipediaより)

本殿舎は土塀で囲まれて~

※先には~

自然石利用した石碑
昭和26年銘

※大正5年銘の石碑
忘国憂国文字が~

広場の様に成っています。

※見返って~

忠魂碑

※昭和26年銘
多くの方がこの地区からも
出征されたんですね。

西を望めば
向こうは淡路島~
手前の大屋根は深日御坊の金乗寺さん

※東側はメガソーラー
環境破壊が心配です。

拝殿舎脇の手水鉢

※五社神社脇の手水鉢

もう一度~

※コンクリ坂を下ります~

えっ!
この坂を
やぐらが曳行され
宮入りするんですか!!



牛車の様な
二輪での【やぐら】です。
これを若い衆2~30人で順番に宮入りするとか。

※締結書
大西町所有のやぐらを
保存会に譲渡したとか

反対側の壁には
先代のやぐらの彫刻飾りが~

※細かい彫と
人力車のような二輪やぐらは
私達は初めて見ました。

ええですね~
前には~
01 02 03 04

※町内を曳行し
宮入りがメインイベントとか~
見たいなぁ~

花祝儀御芳名

※お待ち同様!

もう少し先へ~

※先代やぐらの車輪
何インチでしょうか?

深日行宮址碑


孝謙天皇(こうけんてんのう、旧字体:孝謙󠄁天皇)、
重祚して称徳天皇(しょうとくてんのう、旧字体:稱󠄁德天皇、
718年〈養老2年〉- 770年8月28日〈神護景雲4年8月4日〉)は、
日本の
第46代天皇(在位:749年8月19日〈天平勝宝元年7月2日〉- 758年9月7日〈天平宝字2年8月1日〉)および
第48代天皇(在位:764年11月6日〈天平宝字8年10月9日〉- 770年8月28日〈神護景雲4年8月4日〉)。

父は聖武天皇、母は藤原不比等と橘三千代の娘であり、史上初めて人臣から皇后となった光明皇后(光明子)。
即位前の名は「阿倍内親王」。譲位後に「宝字称徳孝謙皇帝」の尊号が贈られている。
『続日本紀』では重祚後は「高野天皇」とも呼ばれており、
ほかに「高野姫天皇」「倭根子天皇(やまとねこのすめらみこと)」とも称された。
諱は阿倍で、これは阿倍氏に養育されたためであった。

史上6人目の女性天皇で、天武系からの最後の天皇である。
(Wikipediaより)

蔓採りに来よう~

先は行止りとか~



南海多奈川線の高架橋

※将来は複線化の跡?

次行きましょうか~

※お邪魔しました!
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