
次へ~
※前は朝集合した
みさき公園駅
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みさき公園駅(みさきこうえんえき)は、
大阪府泉南郡岬町淡輪にある、南海電気鉄道の駅。駅番号はNK41。
岬町の代表駅で、開業当初の駅名は「南淡輪駅」(みなみたんのわえき)。
現在の駅名は、1957年4月1日に南海が駅の北側に開設した
レジャー施設「みさき公園」にちなみ、開園3ヶ月前の同年1月1日に改称した。
当初の駅名は「南淡輪駅」で、大阪ゴルフクラブへの便宜を図るために設置された。
駅開業の2日後に18ホール完成、全面開場している。
もとは現在のみさき公園および駅前広場も大阪ゴルフクラブの敷地だったが、
戦後にゴルフ場を再開するにあたって、農地改革の影響から都市公園の緑地帯として
認可を取り付ける運びとなり、泉岬公園(のち、みさき公園)が整備され、
開園に合わせて「みさき公園駅」に改称された。
(Wikipediaより)
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朝気付かなかった
祭礼看板
※10月5日・11日・12日
やぐら曳行
あの牛車が~~
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色んなアホ話も…
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この先から~
※街道は脇道逸れて
上りなんですわ。
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垂仁天皇(すいにんてんのう、崇神天皇29年1月1日 - 垂仁天皇99年7月1日)は、
日本の第11代天皇(在位:垂仁天皇元年1月2日 - 垂仁天皇99年7月1日)。
『日本書紀』での名は活目入彦五十狭茅天皇。治世には様々な起源伝承が語られる。
先代の崇神天皇、次代の景行天皇と共に纒向遺跡付近に都したと伝えられる天皇の一人であり、
考古学上、実在したとすれば3世紀後半から4世紀前半ごろの
大王と推定されるが、定かではない。
(Wikipediaより)
五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと、生没年不詳)は、
記紀に伝わる古代日本の皇族。
『日本書紀』では「五十瓊敷入彦命」「五十瓊敷命」「五十瓊敷皇子」、
『古事記』では「印色入日子命」と表記される。
第11代垂仁天皇の皇子で、第12代景行天皇の同母兄である。
石上神宮(奈良県天理市)神宝に関する伝承で知られる。
弟:大足彦尊 (おおたらしひこのみこと、大帯日子淤斯呂和気命) - 第12代景行天皇。
(Wikipediaより)
景行天皇(けいこうてんのう、垂仁天皇17年 - 景行天皇60年11月7日)は、
日本の第12代天皇(在位:景行天皇元年7月11日 - 同60年11月7日)。
『日本書紀』での名は大足彦忍代別天皇。日本武尊(ヤマトタケル)の父。
纒向遺跡付近に都したと伝えられる最後の天皇であり、
考古学上、実在したとすれば4世紀前期から中期の大王と推定されるが、定かではない。
(Wikipediaより)
※標高37m附近
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白峠山古墳
しらとうげやまこふん
大阪府:泉南郡岬町淡輪村白峠山古墳
[現在地名]岬町淡輪
淡輪たんのわ平野の南西にある白峠と称する独立丘陵にあり、
自然地形を利用して築かれた墳丘をもつ径二五―三〇メートルの円墳。
昭和四二年(一九六七)発見され同年調査が行われた。
横穴式石室を内部主体とするもので石室全長六メートル。
石室に用いられた石材は、大きさのそろった和泉砂岩で、
最下段は縦積み、それより上は横積みとし、間隙には平らな河原石をかませている。
(コトバンクより)
横目に~ガンバ!
※案内板
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フウフウ言いながら~
※もう少し上ります~
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標高44.5m地点まで上って~
※孝子越街道
下りは大好きです!!
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脱兎の如く~
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ホテイアオイ咲く池~
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大きなタイヤ
何インチやろか?
※ここにも
ゴルフ場~
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秋の虫の声聞きながら~
※淡輪ランプ交差点
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旧国道を~
※西小山古墳(にしこやまこふん)は、大阪府泉南郡岬町淡輪にある古墳。
形状は円墳(造出付円墳)。
淡輪古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。
『日本書紀』によると雄略天皇9年(465年)に行われたという新羅との戦役や、
紀氏と大伴氏の勢力がこの地域で交わり合っていたという事実とも含めて考察する必要がある。
1981年に大阪府教育委員会により墳丘の発掘調査が行なわれている。
竪穴式石室は削平されて既に失われていたが葺石と埴輪列は良く残っていた。
墳丘の本来の直径は50メートルと推定され、高さは7メートルの2段築成であり、
北西に造り出しが確認されている。
周囲の水田の畦などから周壕(堀)があったことが推定される。
埴輪は円筒埴輪、朝顔形埴輪、蓋形埴輪があり、硬質の須恵質のものが15パーセントを占める。
葺石は付近で産出される和泉砂岩である。
(Wikipediaより) |

太陽光パネルの脇から~
※もう少し左側に西陵古墳が~
西陵古墳(さいりょうこふん、西二山在古墳(にしにさんざいこふん))は、
大阪府泉南郡岬町淡輪(たんのわ)にある古墳。
形状は前方後円墳。淡輪古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。
淡輪古墳群では最大、全国では第28位の規模の古墳で、5世紀前半頃の築造とされる。
大阪府の最南端、大阪湾に面した台地上において
丘陵末端を利用して築造された巨大前方後円墳である。
別称の「二山在(にさんざい)」は「ミササギ(陵)」の転訛とされる。
築造時期は、古墳時代中期の5世紀前半(西暦420年-440年)頃と推定される。
5世紀代に築造された淡輪古墳群のうちでは、西小山古墳・淡輪ニサンザイ古墳に先行する。
(Wikipediaより)
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円墳の辺りからの眺め。
昔は、どういう風な集落が
有ったんでしょうか?
向こうは淡輪の集落
※先へ~
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番川の橋渡って~
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と、気に成る石碑に
ペダルが止まります。
※何やろか?
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楠瀧碑
三つ巴紋
腰位から割れているのも気に成ります。
※岩長墓
生まれきて好きな相撲
名を~
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四股名やろか?
時代は無し~
大阪相撲?
※勧進元名?
なんてアホ話をばしながら~
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道路の向こうの御堂に~
※弘法大師堂
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内部は~
※石製の弘法大師像
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昭和18年銘の建立碑
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